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2025.10.30
秋に込められた日本人の感性
みなさん、こんにちは。
長(なが)く続(つづ)いた夏(なつ)の暑(あつ)さがようやく落(お)ち着(つ)き、
朝晩(あさばん)の空気(くうき)に秋(あき)の気配(けはい)を感(かん)じるようになりました🍂。
一年(いちねん)のうちで最(もっと)も過(す)ごしやすいこの季節(きせつ)、
皆(みな)さんはどのようにお過(す)ごしでしょうか。
日本語(にほんご)には「食欲(しょくよく)の秋(あき)」、「スポーツの秋(あき)」、
「読書(どくしょ)の秋(あき)」、「芸術(げいじゅつ)の秋(あき)」といった表現(ひょうげん)があります。

秋(あき)の楽(たの)しみ方(かた)を語(かた)る言葉(ことば)の豊(ゆた)かさは、
他(ほか)の季節(きせつ)には見(み)られない際立(きわだ)った特徴(とくちょう)です。
例(たと)えば「食欲(しょくよく)の春(はる)🌸」や「スポーツの夏(なつ)🏄」、
「芸術(げいじゅつ)の冬(ふゆ)☃️」といった言(い)い方(かた)は、ほとんど耳(みみ)にしませんよね。
同(おな)じ活動(かつどう)でも、一年(いちねん)のうちどの季節(きせつ)に行(おこな)うかによって印象(いんしょう)が変(か)わります。
では、なぜ秋(あき)だけが特別(とくべつ)に「〇〇の秋(あき)」と呼(よ)ばれるのでしょうか。

調(しら)べてみると、その理由(りゆう)は気候(きこう)にあるようです。
秋(あき)は、暑(あつ)さがやわらぎ寒(さむ)さもまだ厳(きび)しくない、
まさに多(おお)くの活動(かつどう)に適(てき)した季節(きせつ)。
夏(なつ)の暑(あつ)さで落(お)ちていた食欲(しょくよく)も戻(もど)り、
屋外(おくがい)で体(からだ)を動(うご)かすにも快適(かいてき)です。
このように心身(しんしん)ともに充実(じゅうじつ)しやすい季節(きせつ)だからこそ、
人々(ひとびと)はさまざまな楽(たの)しみを「秋(あき)」と結(むす)びつけて表現(ひょうげん)してきたのです💡
では、同(おな)じく過(す)ごしやすい春(はる)には、なぜ「芸術(げいじゅつ)の春(はる)」や
「読書(どくしょ)の春(はる)」といった言葉(ことば)がないのでしょうか。
理由(りゆう)を考(かんが)えると、日本人(にほんじん)の感性(かんせい)や文化観(ぶんかかん)が見(み)えてくるかもしれません。
機会(きかい)があれば、ぜひ皆(みな)さんと一緒(いっしょ)にその答(こた)えを考(かんが)えてみたいと思(おも)います🎵
それぞれの秋(あき)の楽(たの)しみ方(かた)を見(み)つけ、心豊(こころゆた)かな季節(きせつ)をお過(す)ごしください🍁

2025.10.20
こだわりの逸品(いっぴん)
今年(ことし)の夏(なつ)に、思(おも)わず衝動(しょうどう)買(か)いをしてしまいました。
それは、こちらのタンブラーです。

数年前(すうねんまえ)に友人(ゆうじん)を通(つう)じて知(し)り合(あ)った葉拓書道家(※)の個展(こてん)を
訪(おとず)れる機会(きかい)に恵(めぐ)まれ、
久(ひ)しぶりに書(しょ)の世界(せかい)に触(ふ)れてきました。
数々(かずかず)の作品(さくひん)の中(なか)でも、
とりわけ「一」(いち)という作品(さくひん)に強(つよ)く心(こころ)を惹(ひ)かれました。
作品(さくひん)の解説(かいせつ)を読(よ)むことで、
葉拓書道家(※)の創作(そうさく)に込(こ)めた想(おも)いがいっそう深(ふか)く伝(つた)わってきました。
~芸術(げいじゅつ)の道(みち)を真剣(しんけん)に歩(あゆ)むようになってから、
「一」(いち)という数字(すうじ)に強(つよ)く惹(ひ)かれるようになった。
作品(さくひん)を創造(そうぞう)し、活動(かつどう)を広(ひろ)げていくこと。
それは、ゼロから「一」(いち)を生(う)み出(だ)すということそのもの。
カタチのないものに命(いのち)を吹(ふ)き込(こ)み、自(みずか)らの道(みち)を切(き)り拓(ひら)く。
目指(めざ)すべきは、ナンバーワンでなければ意味(いみ)がない。
そして、オンリーワンであることこそが、本当(ほんとう)の価値(かち)なのだ。
今(いま)もなお、道半(みちなか)ば。
長(なが)く続(つづ)く一人旅(ひとりたび)の途中(とちゅう)である。~
「一」(いち)がプリントされたこだわりの逸品(いっぴん)を紹介(しょうかい)させていただきました。
(※)葉拓書道家(はたくしょどうか):植物の葉を用いて書道の技法を応用したアーティスト
2025.10.08
秋(あき)の夜(よる)に歩(ある)く 修善寺(しゅぜんじ)の竹林(ちくりん)の小径(こみち)
静岡県(しずおかけん)伊豆市(いずし)にある修善寺(しゅぜんじ)は、
秋(あき)になるととても涼(すず)しく、美(うつく)しい町(まち)になります。
とくに「竹林(ちくりん)の小径(こみち)」とよばれる道(みち)は、
夜(よる)になると光(ひかり)につつまれ、
まるで夢(ゆめ)の中(なか)を歩(ある)いているようです。
小径(こみち)には高(たか)い竹(たけ)がまっすぐのび、
夜風(よかぜ)が竹(たけ)をゆらす音(おと)がとても心地(ここち)よく聞(き)こえます。
秋(あき)の夜(よる)は空気(くうき)がすみ、竹(たけ)のあいだから見(み)える月(つき)もとてもきれいです。
竹林(ちくりん)の近(ちか)くには足湯(あしゆ)👣があります。
あたたかいお湯(ゆ)に足(あし)をひたしながら、
ライトアップされた川(かわ)を見(み)る時間(じかん)は、とてもぜいたくです
観光客(かんこうきゃく)や地元(じもと)の人(ひと)たちが、
秋(あき)の夜(よる)を楽(たの)しんでいます。
また、修善寺(しゅぜんじ)では、切(き)り絵(え)を使(つか)った
影絵(かげえ)の展示(てんじ)も行(おこな)われています。
竹(たけ)の光(ひかり)にうつる切(き)り絵(え)の影(かげ)は
とても幻想的(げんそうてき)で、日本(にほん)の美(び)を感じることができます。
静(しず)かな秋(あき)の夜(よる)、
竹林(ちくりん)の小径(こみち)を歩(ある)き、足湯(あしゆ)であたたまり、
影絵(かげえ)を見(み)ながら過(す)ごす時間(じかん)は、
心(こころ)に残(のこ)る旅(たび)の思(おも)い出(で)になるでしょう。



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